中学、高校時代を振りかえって思うことと言えば、全然勉強をしてこなかったことへの後悔とそれなりに青春をたのしんでよかったということです。
少し矛盾しているように感じるかもしれませんが、その辺りはスルーしてください。
でも、無駄な時間を過ごしたと感じることもあります。例えば、もう少し睡眠時間を削って勉強できたなとか、マンガを読み過ぎたなとかです。この時間を勉強に当てることができたら、青春も勉強も両立できたと思います。そして今頃は勝ち組になっていたかもしれません。
これで記事をしめてしまうと、今回の記事は行政書士試験や法律とはまったく関係のない記事になってしまうので、もう一つ思ったことを書きます。
中学、高校生時代、まともに法律を学んだ記憶がありません。私の高校は一応は進学校です。それなりの授業内容ではあったはずです。ちなみに、他校の友達は中学の英語レベルの授業だったそうです。そういう高校もあるそうです。
中学、高校で学んだ法律といえば、憲法以外には記憶がありません。人権の判例の知識はセンター試験に出題された記憶はうっすらあります。統治を勉強した記憶はありますが、間違っても民法、刑法はまったく習っていません。
これってどうなんでしょうか?
ずばり義務教育や高校で取り入れてもいい気がします。民法などの法律を少しでも学べれば将来役に立つはずですし、学んでも損はないような気がします。
確かに国の最高法規である憲法は大事です。ですが、憲法さえ学べばいいのかというとそういうわけでもない気がします。個人的にはもう少し踏み込んだ法律を学びたかったです。国的には憲法から先は大学などで各自、習うなり勉強しなさいということなんでしょうか。関係ないかもしれませんが、憲法の改正が難しく、ほとんど変化がないからでしょうか。他の法律だと数年に一度くらいは改正があるからでしょうか。とにかく憲法しか学べなかったのは残念です。
それに関しては行政書士試験のために法律を勉強した今になって、思うようになりました。ぶっちゃけ法律は歴史よりもかなり大事なきがします。
ちなみに私は歴史が大嫌いでした。歴史が大事なのはわかりますが、それを学んだところで将来役に立つことがあるかというと疑問です。温故知新は国の行く末を決める人、すなわち政権を担う人たちに対しての言葉だと思います。よく温故知新という言葉を使う人がいますが、一個人がそれを知っている必要はあまりないような気がします。
私たちにできることは国民の代表者と決めることだけです。正しい目をもって、それを見定めればいいだけです。これが一番難しかったりしますが。歴史を知って、過去の過ちを繰り返さないようにするのはその代表者です。
とかなり、横道にそれてしまいましたが、学生時代にどう過ごすかでその後の人生が決まります。私たちはさぼってしまったため、今猛勉強して追い付こうとしています。学生時代にそれに気づければいいのですが、なかなか気づけないものです。
もし、気づいたとしたらその時点が勉強のはじめどきです。30代でも、40代でも、50代でも遅いことはありません。決して遅かったと思わず、あきらめずに勉強し始めましょう。むしろ気づいたあなたはラッキーです。
私も30代になってようやく、勉強の大切さに気づくことができました。