北海道の大震災、今の状況と管理人の心境!!そして、変わったこと

2018年、9月6日の午前3時ごろ、私はその日、司法書士試験の勉強を終え、就寝していました。もちろん、場所は私が住んでいる北海度のとある市です。

午前1時頃に寝付いたとはいえ、その日の疲れもあり、おそらく熟睡状態でした。




 

まさかの大地震が・・・・。

 

ここから、北海道大震災が始まりでした。

いきなり、小刻みな揺れを感じ、すぐさま目を覚ましました。

その瞬間、これはやばいと悟りました。というのもその直後の揺れ方が半端なかったからです。それと同時に緊急警報がスマホからなりました。地震なのは知ってるよと思いながら、すぐさま広い居間へと移動しました。

私と妻は起きていましたが、娘はよほど熟睡していたのか起きることなく、平和に寝ていました。

幸いにも家や家具の倒壊などはなく、全員無事でした。

テレビをつけたら、案の定震度は大きいようで、津波はないということでとりあえず一安心しました。

少し落ち着いたので、家族に連絡をして安否を確認しました。無事との報告を受けさらに一安心。

長き停電が始まる・・・

そして、その後、続報がぞくぞく入ってくることを期待しながら、テレビにかじりついていたんですが、突然、テレビがまっくらに。

すぐに停電だと気付きました。

このとき、まさかこんなにも停電が長時間続くとは思いませんでした。私の地区は約17時間くらいは電気のない生活を余儀なくされました。

恐らく人生初です。

停電と言っても、これまで1時間くらいでは復旧して、すぐに日常へと戻れていたからです。

ただ、私たちはまだマシな方です。もっとひどい方だと、それ以上、復旧までに時間がかかったみたいです。そして、この記事を書いている今もなお、電気のない生活をしている方がいます。

さらには断水の地域もあるようなので、それらに比べたら、ライフラインがそこまで閉ざされていなかった私たちはまだマシといえるでしょう。

ですが、非日常の生活であったことは間違いありません。

まず、地震が起きてから、私たちが取った行動、とりあえず築数十年は経過しているであろう、耐震性も低そうな家からはまず避難しました。

これ以上、震度が高い、揺れが来ることを最大限警戒していました。

そして、とりあえず3時以降は車の中で睡眠を取りました。

物資確保に長蛇の列、パニック状態

朝になり、未だ停電状態でした。そのときはこんなにも長時間の停電になるとは夢には思いませんでしたが、なんとなく食糧と水を確保しなければと、コンビニへ早朝向かいました。すでに長蛇の列で、購入できたものもわずかでした。

もっともほしかった電池は手に入らず。

町全体がパニックにおちいっていました。群がる人、長蛇の列すべてが非日常でした。パンデミックなどを題材にした映画などで見る感じのアレと一緒でした。

そして、次に気になったのが燃料でした。ガソリンがないと万が一の時に移動できないとなっては困ると思い、急いで向かうもすでに閉鎖していました。やはり電気がないと給油は難しいみたいです。

とりあえず、余震におびえながら、その日は夕方までスマホなどで情報収集していました。そして、断水の情報がどうやら誤報だと気づき少し安心して、それからちょっとだけ前向きになり、ガソリンスタンドも一部、再開していると知り、急いで向かいました。

長蛇の列で、給油を終えるまでに1時間もかかってしまいました。

その後はちょっと安心したのか、普段の生活にちょっと戻りつつありました。

ただ、電気がない生活だけでした。

といってみましたが、先の見えない停電にいつまで続くのかという感じでちょっと、きつかったです。




電気がついた!!復旧後の過ごし

そして、待ちに待った瞬間が来ました。

なんと家の電気がついたのです。

あの安堵感はかなりのものでした。ようやく普通の生活に戻れると思いました。そして急いでスマホの充電をして、シャワーを浴びました。

電気を取り戻し、本当に現代人は電気がないと生きていけないと実感しました。

ですが、この時点で私の住んでいる街では、地域によってはまだ停電している家屋が何件もありました。

余裕を少し取り戻したこともあってか、夜に、コンビニなどを求めて、町を捜索してみましたが、街の一部は完全にまっくら状態、ほとんどの企業が閉店していました。

一番困ったのが、信号機がまったく機能していなかったことです。

大きな通りには、警察官が手信号で誘導していましたが、他の信号はまさに無法地帯です。というか信号無視という概念すらありません。信号がないんですから、そして一時停止もありません。

どちらが優先かもわかない分、交通量の少ない住宅街の交差点よりもたちが悪いです。

本当に怖かったです。交通事故が起きてもおかしくない状態でした。

いつもとは違う街並み、そして信号のない交差点。すべてにおいていつもとは違っていました。

その日は諦めて、家に帰り、熟考した結果、疲れやエコノミークラス症候群などの危険も考え、電気と車のシートよりは柔らかい布団がある家で寝ることにしました。

幸いにも大きな余震なく、朝を迎えることができました。

そして、朝起きて、仕事は依然として、休みだったので、とりあえずホームセンターに向かい必要なものをそろえました。

具体的には、乾電池、車用のスマホ充電、乾パンなど買いました。

もう電気のない生活は嫌だという気持ちからなのか車の電気系のものが多かったです。カセットコンロも購入すべきか迷いましたが、とりあえずはやめました。

やはり、人間停電になると、スマホの充電にいつも以上に敏感になります。

やはりテレビやラジオがなければ、情報源はスマホになるので、スマホが命綱みたいなものです。

スマホはなんとかギリギリ、バッテリー切れをおこすことなく、過ごすことができました。必要な情報があれば、安心できるものです。ツィッターの情報、親戚とのやりとり、友人との情報交換、すべてスマホのおかげです。

停電になるとスマホは神です。

防災の意識が高まる!!

やっと、電気もほぼすべての世帯で復旧することになり、普段とはちょっと違いますが、ほぼ日常を取り戻しました。

今、この状態でブログを書いています。

今後、余震が続くだとか、本震が来ると言われています。その恐怖におびえながら過ごしていますが、とにかく震災後と前を比べるとやはり防災意識が高まりました。

いままで、テレビなどで他の震災を見ていてても、悲しくなったりはするものの、自分には起こっていないので、正直、対岸の火事状態でしたが、自分の身に降りかかると、やはり違います。

ましてや台風が終わったばっかりでこういう状態になったことでさらに防災意識が高まりました。

そして、教訓となったこと。

スマホのバッテリーは必ず確保できるような状態にすること、生活必需品はストックすることが大事だということ、電気(明かり)を確保しておくということです。

冬であれば、灯油などの燃料も確保しておくべきです。

今回不幸中の幸いといえることは、秋であったということです。これが極寒であればもっともっと被害が拡大していたでしょう。

今回最大震度であった厚真町の方々はもちろん、液状化などで家屋が倒壊してしまった人たちに比べれば、私の被害なんかは大したことはありませんが、本当にいつ来るかなんてわかりません。

常に防災意識を高くもって、行動していた方が良さそうです。

普段、手に入れられるものも手に入れられなくなります。お金があったとしてもです。

起こる前に準備できるものは準備しておいた方が良いでしょう。